誰かを無理やりカテゴライズするのは、往々にして余計なお世話【コラム】

どこどこの会社に属している。
なになにをやっている。
まるまるのコミュニティにいる。
ほにゃらら思想を持っている。
ばつばつな人だ。
まあ、もう少しつっこんだらLGBTQなんかも、カテゴライズに当てはまるかな。第三者が勝手に「そうである」と判断して、囲っていく行為。

ああ、本当に無意味。
無意味で済んだらいいけど、もっといえば余計なお世話。なんの権限があってカテゴライズしているのだろうか。
あゝ無情。サングラス外したら吹き出しちゃうわ。
因みにタイトルの画像はなんも関係がない。可愛いから、そうした。

ただ、カテゴライザー(カテゴライズする人のこと)する人は本当に多い。昔、「ブッタとシッタカブッタ」っていう本にの中に(何巻だったかは忘れた)

「人は〇で囲っていくと楽な生き物なのだ」的なことをブッタさんが言ってた気がする。関連付けて、その関連性で悩むのだと。ちなみにこの本、普通に面白いです。
「多分そいつ、今ごろパフェとか食ってるよ」に近い。

失礼。すこし話が脱線してしまいました。

カテゴライズして安心するのだろう。僕だって、多少はカテゴライズしている。Twitterなんかは特にそう。立派なカテゴライザーです。

ただ、人を勝手にカテゴライズして、それを別の他人に話すことはしない。ごくごく親しい人には言ってるかもしれないけど。
僕は誰かをカテゴライズして判断し、それを誰かに伝えることが無意味だし、おこがましいとさえ思っている。余計なお世話なのだ。
「なんで余計なお世話なの?本人だって、そう思っているじゃない。」
これが、カテゴライザーの中で罠になっている。なぜかはわからないんだけど、カテゴライズするときは白黒はっきりつけてしまうんだ。世の中にはですな、白黒はっきりつかない、グラデーションっていうものが存在していている。キレイにサッパリと、わけられるものではない。
例えば、〇〇の会社に勤めている人が、別の会社にも関わっていることもある。仕事で。コミュニティも、大きなコミュニティ枠で見たらギスギスしていてもどっちにも参加している人も、必ずいる。仕事ができる人、できない人っていうカテゴリわけだってそうだ。
その一コマだけ取ればどちらかにフォーカスもされたりする。でもその一コマを除くと、実際にどうなのかなんて、わからないでしょう。

これ、進んでくると誰かと誰かがもめた時に「あなたはどっちの味方なんですか!?」と詰め寄られたりする。あー、死ぬほどどうでもいい。知らねえよ、永世中立国スイスってご存じですか?

そう、カテゴライザーは、どっちかに絞ってほしいのだ。
正義のヒーローか、悪の軍団ショッカーか。どっちかにしないと気が済まない。
僕みたいな、頭の中が中二病のカテゴライザーは可愛いもんだ。まるで、チワワのくぅちゃんくらい可愛い。大体、こういった脳内カテゴライザーは「どっちかはっきり決めろよボケカス!」っていうときは、チワワばりに震えているからね。

白と黒が入り混じったグレーには、大切なものも混じっている。その人のこれまでの生活、考え方、生き方、迷っていること、現在進行形で考えていること。ごちゃまぜにしているから、白や黒に分けられなくて、本人も悩んでいるのに、第三者が「それなら白だよ!黒だよ!」なんていうのは、ほんと、ね。

ただ、これ、ややこしいもんで自分から「カテゴライズしてください!!!」と飛び込んでくる人もいる。結構な数、いる。往々にしてAorBorCがA<B<Cだと思っているから、希少性の高いAになろうとする時だ。ねえよ、そんな希少性は。カテゴリで分けたら、結局どこにだってそのカテゴリの第一人者がいる。だから、結局勝てることは一切ない。そうなのに、カテゴライズされていないと不安が強くなって、どこかに属したくなる。どこかに属すのは悪いことじゃないんだけど、分けてくれた人の威光にすがって、喜んじゃったり、「僕は〇〇に××とカテゴライズされたんだ!」と嬉しそうに語る。そんなのに、富も名声も一切ないのに。自分で頭捻って考えろよ。夏祭りでひよこを取り分ける仕事をしているおっさんくらいしか、カテゴライザーに力はない。お前はひよこか。違うだろう。立派なとさかの生えたニワトリだろう。グラデーションをもっと愛せばいい。そこにしかないものに、目を向けて考え続けたらいい。自分をカテゴライズできるのは、自分しかいないんだから。

僕は行き過ぎたLGBTQもフェミニズムも、正直好きになれない。あくまでも「行き過ぎた」ね。全部を否定しているわけではないよ。社会的に認められていないものを、生きやすくする活動は、ほんとに素敵だと思っている。僕はそこまで深くかかわっていないけど。出来る限り、理解は出来なくても知っていきたいと思っている。ただこういった活動も「理解しなさい!!!」と押し付けられている気がする。食べきれないのに口にハンバーガーを押し込められたような、吐き気、もしくはなんとも言えない胸やけが心の中に迫ってくる。理解ってしなくちゃダメ?知って、理解は出来ないけど、生きやすい世の中になるようにしたいって思うだけじゃ、物足りないの?こういう問題を当事者以外が頑張っていたり、注目される分それを利用する人も実際いるんだよなあ。差別用語とか、地域における差別とかもそう。本当になくしたいのか?それとも、なくしたいわけではなく、覚えていてほしいのか。これだけで全然変わってくるのにね。

偉そうに言ってるけど、半分以上の言葉は僕にブーメランとして突き刺さっているよ。今もなんか、クラっとした。誰かを攻撃したいわけではないよ。みんな違ってみんないいんだから。

嘘だよ。僕は右の頬ぶたれて左は差し出せません。
みんな違ってみんないいと言えるほどの広い器はございません。

まあもう少し、このブーメランは身体に刺しておくよ。

 

トップへ戻る
タイトルとURLをコピーしました