のこのこ書店です。
のんびりと、ゆっくりとお過ごしいただける場所を目指しています。
逃げてもいいのか。それとも逃げない方が良いのか。
逃げるは恥だ!
という意見もあれば
逃げない方が良い!
という意見もある。
ここの線引きはすごく難しい。
僕は「めんどくさいことからは逃げない方が良い」けれども「自分自身の心のバランスが崩れてしまうくらいなら逃げた方が良い」と思っている。
ただ、それ以上に大切なことがあって。
「逃げる逃げないの前に、世界が広い、自分を認めてくれる場所を探した方が良い」
そう思っている。
先日「shrink」という漫画を購入。
ほのぼのしたタッチで描かれる精神科医の話。患者さんが、自分を認めてもらえる場所を見つけていく話です。
これを読んで、何となく思ったんですよね。
今の世の中、「逃げる、逃げない」の二極論だからダメなんじゃないのか。
他にも選択肢はいくつかあるのではないか。と。
やり始めたことがあれば、どこか踏ん張らないといけないときってやっぱりあるんです。
苦しくて、辛くて、どうしよもない八方ふさがり。
それでも、乗り越えるべき一歩を出さなければいけないときもある。
その一歩が、力をつけるときも、もちろんある。
しかし、その一歩を踏み出すきっかけって、自分の存在を認めてもらっているもう一つの場所も必要だったりするわけで。
難しいよね。そんなことを「shrink」という漫画を読みながら感じた。
僕の話をしよう。せっかくだし。
とんでもない働き方をしていた。
多分、おそらく。
僕はとんでもない働き方をしていたと思う。
朝8時~夜中の3時頃まで。
このルーティンを、ほとんど毎日。
好きだったかどうかは、分からない。
一種の強迫観念だと思うよ。
幸いにも身体は壊れなかったけど、心のバランスは絶妙にくるっていった。
いまでも、夜の寝つきはそこまで良くない。
新しい「なにか」をやる体力はそがれていき、毎日が毎日くることに絶望して、それでも、なにかしようと必死こいてなんとかして…
誰かに優しくできる心なんて、もてなくなった。
「自分が」というセリフが多くなってしまって、くるしくて、くやしかった。
「ここしかない」と思っていたな。うん。
「僕なんかがこの形で働くことが出来ているのは、会社のおかげだ」と。
確かに、会社のおかげなんだけど、「僕なんかが」は、実は一切なかったんだな。
僕自身、居場所はそこしかなかった。だから、必死にしがみつくしかなかった。
その経験は良かったとは思っている。
でも、どこか別の場所に心を置いていたら?
乗り越えるために、誰かと話が出来ていたら?
「助けて」ってちゃんと言えたら?
もう少し、簡単に乗り越えられたのかもしれない。
転職を考えて、転職したら給料は上がった。「自分なんか」はなかったんだ。
今は誰かに助けてもらいながら
のこのこ書店の基本理念は「他力本願」。
僕が作り上げる本屋さんではない。みんなで作っていくのこのこ書店になればいい。
「他力本願」なのは、誰かによりかかることじゃない。
誰かに助けてもらう事。そして、誰かが困った時にはちゃんと手を差し伸べてあげられる人間になるということ。
聞こえない「助けて」をちゃんと拾える人間でありたい。
そして、場所として助けてあげられるようにしたい。
誰にも「助けて」と言えなかったあの人や、その人。僕は沢山知っているよ。
元気かい。そっちはどうだい。僕も、言うてる間にそっちへいくだろうけどさ。
だからこそ、誰かに助けてもらいながら僕は生きたい。
その分、誰かの為に、生きたい。
それだけ、僕は沢山の人に救ってもらって、助けてもらって生きてきたから。
だから、のこのこ書店を作った。
そこにあるだけで、何となく心がほっこりするような。
逃げるが勝ち、ではない
逃げるははじだが役に立つかもしれないけど、逃げなくても済むならその方がいい。
逃げずに立ち向かうわけではない。
ファイナルファンタジー9でも、ボス前にテントで休めたりするでしょう。
立ち向かう前に、一呼吸つくのも、それはそれで大切なんだよ。それくらいでいい。
逃げるんじゃない、休憩する。そんな場所があるのはいいこと。
そして、逃げない自分を作っていくのが、一番良いと思うんだ。
「自分を理解する」というのは、とっても大切なんだ。
やっとこさ、この年齢になって自分のポンコツさが身に染みる。
そして、その自分のポンコツさを理解したうえで、いやなこと、立ち向かわないといけないこと、そのための英気の養い方。
すべて少しずつ知っていけるようになってきた。
それでいいじゃないか。
と、僕は思っている。