言葉ってなんだろうなって考えていた。
いや、そこまで真面目に考えているわけではないんだけどね。
本屋さんやっていて、本を読むのが好きで、こうやって文章を書くのが好きで。
そんな話をしたら、天職だねえって言われたりもする。
それはそれで、嬉しいなとは思う。
しかしながら。
本と向き合う。こうやって文章を書く。
それは、途方もない作業な気もしている。
誰かに届くのか、届かないのか。それは分からないし。
誰かに届けたいと思って書いた文章も、ちゃんとその人に届いてくれたらいいなって思いながら書いている。
緊張、とまではいかないが、渡すときはドキドキしているのも事実だ。
言葉は、まるでラッピングのようだ。
ここ数ヶ月で、そのことに気がついた。
いや、気づかせてくれた、と言った方が正しいだろう。
小学生、中学生は、貪るように本を読んでいた。
孤独感の中、孤独を感じないように、自分の世界に逃げ込むように、本を読んでいた。
本の中では、「私」と登場人物たちだけで構成されている。
そこで感じたことは、私だけのもので、誰にも侵略されることのないパーソナルスペースが構成されていた。
安心感と、読後の孤独感ー。
おもしろい本だから、読み終えたくない。そんな感情もゼロではないけれども、そうではなくて、読後におそってくるのは、孤独だと思っていた。
登場人物たちとの出会いと別れ。
どうやら、私の人生はさよならだけなのかもしれない、とでも言うのだろうか。
中学2年生の私は、見事なまでに中二病を拗らせていたのかもしれない。
大人になって、文章を書くようになった。
当時さよならをした登場人物は、また私の前に現れた。
「あの時、私たちの物語を見て、どう感じた?」って。
どう感じたのだろうか。
心の中との、向かい合う時間をくれた。
大切なひとに、私の中で、一番たいせつなものを、一番キレイでキラキラしたものをあげたいって思った。
そして、筆を進める。
文章とは、もしかしたらラッピングなのかもしれないな、と思いながら書く。
わからないことはまだまだたくさんある。
本は、文字は、人を救ってくれるのだろうか。
そんなことも思いながら、今日も特定の一人、ただ一人だけに向かって文章を書き続ける。
そんな時間が、私にとって、とても大切な時間なのだ。